小説やドラマ、アニメを見て、その場所に行く「聖地巡礼」
今回は、聖地巡礼というには不謹慎ですが、その現場を改めてみたくなり、出かけました。
背筋の凍るセリフ
Kindle版で購入し、昼休みや通勤時に読みました。
吉村昭の小説は大好き。実際起きた事件事故を、淡々と、でも登場人物にスポットをあて、その深層に迫っていきます。そう、「深層」。
初めて読んだのは「羆嵐(くまあらし)」。
1915年北海道の苫前村三毛別で起きた、ヒグマが人を襲った事件の中でも最悪のもの。
北海道へ本土から入植し、山野を切り開いていた農民たちを、巨大はヒグマが襲う。
しかも、ヒグマの習性から、なんども村に現れ襲っていく様は、恐怖以外何物でもない。
北海道に一時期住んでいたわたしは、さほどヒグマの怖さをわかっていませんでしたが、この本を読んでから、ヒグマが怖い。
三毛別の近くにも行ったことはありますが、一度は怖くて行きませんでした。
しばらく後に知床に行ったとき、道の横を親子のヒグマが歩いていた。
車から写真は撮ったものの、早く行こうとしたのですが、周りの車が路駐をし、人が降り、ヒグマをバックに写真を撮り始めたのを見て、怖くて仕方がなかった。
「おっかあが、少しになっている」
このセリフに背筋が凍りました。
そんな吉村昭の小説「闇を裂く道」は、日本土木史上もっとも困難と言われたトンネル工事を描いています。
大正時代、国鉄東海道本線の丹那トンネル工事が舞台となっています。
丹那トンネル開通前の東海道本線
現在の東海道本線は、東京から熱海までがJR東日本。その後、函南、三島、沼津と走りますが、この熱海と函南のあいだが丹那トンネルで、そのトンネルの東口付近からJR東海となります。
しかし、トンネル開通以前は、現在の御殿場線が東海道本線でした。
国府津から酒匂川沿いに北へ向かい、曽我、松田、山北を通り、その後小山、御殿場を通って沼津に行きます。
この経路になった理由は、当時の機関車では箱根を超えることができなかったためです。
この小説の冒頭では、その当時の旧東海道本線の描写があります。
急こう配でその当時の蒸気機関車では上れず、補助機関車が必要だったこと。
食堂車も軽量化のため国府津で切り離し、沼津で再度連結しました。
前後に機関車があり、速度も遅いため、窓を閉め切っても煙が客車に入り、また運転手や車掌は、窒息する思いだったとのこと。
トンネルが続くところでは、トンネルを出るたびに窓を開け空気を入れ替え、でもすぐに次のトンネルになるため、すぐ閉めるといった旅客の連係プレイも必要だった。
山北駅から西に向かう際のトンネルでは、上昇気流のため、前の機関車の煙は前方に、後ろの機関車の煙は前に上ってきて、全く視界がなくなってしまうため、列車が通り過ぎた後に、トンネルの入り口に幕を張るようにしたそうです。
その後、機関車の馬力が改善されたことで不要になったそうですが、10年間も続いたとのこと。
※御殿場線ではないですが、排煙幕の写真。
また、車輪が空転するため、機関助手が屋根に上って砂をまいたり、連結器がはずれ、後部の機関車では上れず、そのまま沼津近くまで降りてしまったこともあったとか。
豪雨があると土砂崩れが多く、不通になることもしばしば。
これでは、国の大動脈というには、かなり厳しい状況だったのでしょう。
ただ、山北は大きな機関区で、鉄道関係の職員が600人近く配置され、非常ににぎわっていたとか。
丹那トンネルができれば、国府津から沼津は2時間半程度かかるものが、1時間程度になること、勾配がゆるく多くの貨物を運ぶことができるなど、国として必要不可欠な大事業ではありますが、それにより現在の沿線の町がすたれていくことは、誰もがわかったことでしょう。
しかし、この丹那トンネルの工事は想像を絶する困難なものとなりました。
そのことを知らず、いままで通り過ぎていましたが、小説を読み現場を見たいと思いました。
三島へ
ということで、静岡側から行こうということで、三島へ。
三嶋大社へまずはお参り。
お休みで、しかも好天でしたので、朝から人が多かった。
三嶋大社は犬連れは入れないので、交代でお参り。
その間は近所を散歩。
二匹の猫ちゃんににらまれ、うちの犬は悲しげでした。
前段が長くなりました。この後、丹那トンネルの歴史にまつわる場所をめぐります。
けっきょく、中身の濃い旅になりました。