むかしのきょう
今から59年前の1965年、橋本真也の誕生日。
破壊王と言われたプロレスラーですね。
わたしのような50歳代はまさにドンピシャの人気レスラーでした。
いまでもお笑い芸人にまねをされる、ちょっとおちゃめな部分もありましたね。
皆に愛される方だったと思います。
そんなあなたといえば、小川直也との戦いで引退をかけた東京ドーム決戦が有名ですね。この話についてはいろんな本が出ているほど、ドラマチックで、謎の多い事件でした。
この本にも裏側が書かれていますが、どこまでが本当なのか、いまとなっては猪木さんもあなたもいないので、全容はわからないでしょう。
でも、わたしは一番覚えているのは、2001年のZERO-ONE旗揚げ戦です。
あなたが立ち上げた団体の初戦で、その団体の選手は全敗するという波乱の幕開け。
そしてラストがプロレスファンが興奮しすぎて失神しちゃうほどの、このヒリヒリエンディング!
このころはまだ、新日本系と全日本系の交わりは少なく、あっても「きれい」に企画された試合でした。
この日のメインイベントは、ZERO-ONEのあなた&新日本の永田裕志対NOAH秋山準&三沢光晴という夢のカード。
しかし、このメインイベントはあなたが三沢のジャーマンスープレックスで敗戦。
ここからがすごかった。
その後、NOAH勢とZERO-ONE勢が乱闘。
当時UFO(猪木が設立した団体)所属の小川がマイクで、あなたと三沢を挑発。
珍しく激怒した三沢が小川にエレボー。そして乱闘。
ちょっと収まったところで、あなたが全員を挑発。
藤田和之が、一番強いのは誰かを決めればいい、と主張。
ここで珍しく三沢がマイクを取り、「お前らのな、思う通りにはしねぇよ、絶対!」とすかし、
あなたは「思い通りにしてやるから覚えておけ!」と帰る三沢に投げかけます。
そして解説席には翌年新日本から全日本へ電撃移籍する武藤敬司がいました。
おそらくこれは狙っていたとしても全く台本のない展開だったと思います。
様々な団体、当時の話題の中心だった選手が、思いをぶちまける展開、いやー、思わず大きな声ですげーって叫ぶ展開でした。
この展開はあなたの人柄だったり、あなたの積み重ねや直前の引退など、とても稀有なプロレスラーであった橋本真也だからこそできた旗揚げ戦だったと思います。
ただ、このあとこれを受けた展開にはならず、わりとあっさり終わってしまったのは残念です。
このわずか4年後、あなたは帰らぬ人となりました。
正直、ZERO-ONE旗揚げ後のあなたは、いろんなことに挑戦されていましたが、まだまだできたと思いますし、思ったとおりにいかなかったことが多かったように思います。
でも、この旗揚げ戦以降、団体の垣根はいい具合に下がり、夢であった対決も増えたと思います。
そう、とてつもなく大きなことをしたと思います。
今のプロレスをあなたはどう見ているでしょうか?それも興味がありますね。
けっきょく、破壊なくして創造なし!