ここから書くのは昔の日記を書いた手帳を見つけたので、それをデジタルに残そうと思い書きます。
- 前書き
- 1996年3月1日 金曜日 午前中晴れ、午後雨と。。。
- 坂本龍馬像(こじらせているので、飛ばして読んでいただければ。。。)
- 闘犬センター
- 黒潮ライン
- 四万十川源流へ
- 四万十川
- キャンプ場へ
- あとがき
前書き
この日記は大学生最後の春休み。
友達は海外などに卒業旅行に行くのに、私はバイクでテントや寝袋を積んで、四国一周旅行へ旅立ちます。
前回は室戸岬から桂浜まで走り3泊目。宿に泊まりました。
今回はついに憧れの四万十川へ向かいます。
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1996年3月1日 金曜日 午前中晴れ、午後雨と。。。
6:30に起きた。なぜこんなに早く起きたかというと朝日を見たいからだ。
俺の部屋からは見えるはずだ。
6:45ごろ室戸の方から雲の上に太陽がのぼる。なんてすがすがしいのだろう、と思った。本当はこれから「すがすがしい」なんてことはないのに・・・
坂本龍馬像(こじらせているので、飛ばして読んでいただければ。。。)
朝食を食べ8:00に宿を出て桂浜へ。
とてもきれいな浜だ。
このきれいな浜で坂本龍馬と仲間は夜飲み明かすことがよくあったらしい。
気持ちいいだろうなぁ。
坂本龍馬像は桂浜の高台にある。
何枚か写真を撮る。
俺がこの人を好きな理由は、まず「強さとやさしさ」である。
北辰一刀流という剣術の達人であったが、生涯一度も人を切らずに終わった。
暗殺された時も剣を抜かなかった。
また人としての魅力を持っていて、郷士、上士の一部、西郷隆盛、桂小五郎などの他藩の大人物、勝海舟などの幕府の要人、岩倉具視などの貴族。
みんなから好かれ、尊敬され、恐れさせ、一目置かれた。
こんな人物は過去も今もない。
もう一つは、「知識欲とアイディア」である。
海外の言葉、法律、風俗などを、全く書物のない時代に独学で覚えた。
貿易会社「海援隊」「亀有社中」を株式会社に近い形で設立し、薩摩と聴衆という、非常に仲の悪い藩どおしに同盟を結ばせ、土佐藩を動かし、幕府から政権を天皇に戻させ、近代的な政府を考えた。
つまり明治維新のほとんどをやりとげたのである。
しかし、自分は政府には入らず、世界を回りたいという夢を描いていた。
坂本の片腕だった陸奥宗光は「坂本は西郷や桂よりも大人物だった」といった。確かにこれほどのことをなしとげ、これほど人間臭い人物はいないだろう。こんな男になれたら、と昔よく思った。
闘犬センター
その後、闘犬センターに行く。するとたまたま闘犬を散歩に出していた。でかい!とにかくでかい!
俺には見向きもしない。
気の荒い犬ではない。
きちんと訓練され、主人に忠実なかしこい犬なんだ、とその時わかった。
10:00から闘犬ショーが始まった。
まずは横綱の土俵入り。
化粧まわしをつけてもらい、客に写真を撮らせている間動かない。すごい!
が、終わると思いっきり伸びをして、大あくび。
「あー、終わった、終わった。」という感じ。
思わず笑ってしまった。
ただ、立ち上がると大人ぐらいあるし、体重も65kgもある。さすがに横綱である。
その後、試合があった。
二匹の犬が土俵に入り、飼育係の人の合図で試合開始。
かみつき、引き倒し、押さえつけ、かんだところをねじる。血がにじむ。5分の試合時間、両方とも逃げず、鳴かず、ひたすら相手を倒そうとする。
結局引き分け。
しかしすごい迫力。一人だけいた女性の客はかなり引いていた。
無理もない。殺し合いではないが、両方とも本気。主人のために戦う犬。すごすぎる。
黒潮ライン
桂浜を出て、海沿いを走る黒潮ラインを走る。宇佐大橋を渡り、横浪半島を走る。いい道だ。
海がすごくきれい。人がいけない崖下に小さな砂浜が点在する。気持ちいい。
風はかなり強いが・・・
途中、駐車場の屋台のおばちゃんに声から声をかけられる。
※たぶんこの帷子崎展望台の屋台
店の裏に行くとバイクがある。ぼろぼろだ。
2、3日前に捨ててあったらしい。
「じゃまでねぇ。少し動かせられないかしら?」という。
ハンドルがロックされていて、まっすぐ動かない。
よく見るとマフラーはかなりうるさいものでナンバーもない。
ライトもない。ライトの取り付け位置がかなり高い。
「族車だ」とわかった。多分盗んで散々乗って捨てたのだろう。
ひどい奴だ。
おばちゃんに説明してあげたが、うごかせなかった。ごめん、おばちゃん。
※海の上食堂?今とちょっと違う。
須崎で一休み。
おばあちゃんにニコニコで「くえや!」と言われ、
「もりもり食ってます!」と元気よく答えた。
こういうのがうれしい。元気が出る。
四万十川源流へ
須崎から197号線にいき、東津野村に行く。
小雨が降ってきた。風が強く、寒い。
が、行かなくてはいけない。
ここに四万十川の源流があるからだ。
看板を見ると国道から7kmらしい。
「いける!」
いよいよ四国旅行のメインだ。
2~3km、車一台分の細い道を登る。ここで砂利道になる。
「いけるところまで行こう」。
こうして地獄が始まる。
行けども行けども坂、坂、坂。砂利もひどくなる。
砂利ではない、石がごろごろある。
バイクを置こうにも道が広いところがほとんどない。
Uターンもできそうもない。
行く以外にない。
メーターを見て、もうそろそろだというとき、雨が雪になったのに気づく。
道はいっそう険しい。
あと、1kmもない。あとちょっと。
目の前がまっしろになった。道が雪で凍結している。もうだめだ。
仕方なくバイクを置く。
雪がふぶいてきた。三脚を出す気力がない。カメラだけ持っていく。
坂がきつく雪が深い。
川が見えないが、徐々に音が聞こえてくる。
見えた!
大きな岩に「四万十川源流」と書いてある。
やった!やった!やった!
震える手でカメラを押す。寒い。雪はますます強くなる。
四万十川
今までこんなに怖くなったのは初めてだ。
5分ほどで坂を下る。
また来よう。***(彼女)と来よう。
少し残念だが小走りでバイクのもとへ。ありがとう。ゆっくり下ろう。気を付けて。
往復14kmで1時間近くかかった。
ハンドルをしっかり固定する。
倒れても大丈夫なように足を構えて走ってきた。
おかげで手も足もパンパンになった。
体も冷え切っている。
国道に出ると四万十川は穏やかな小川である。
「なめるなよ」
といわれた気がした。
自然は怖い。そしてすごい。
その道を選ぶ。
これがまた大問題。
途中で山を崩す大工事をしていて、1時間に10分しか通ることができない。
わずか100mぐらいの道だ。
結局30分も待たされる。
雨は降り続ける。
体はどんどん冷える。
イライラすることもできない。
「なめるなよ」
また四万十川が言った。そんな気がする。
その後も一車線と坂とカーブが続く。
四万十川はすぐ横を流れている。
四国に来る前はただ「きれいで清い川」としか思っていなかった。
たしかに急な流れは少ない。水は透明。ものすごく澄んでいる。
だけど違った。
人が四万十川の川筋を通ることは大変なのだ。
ゆったりと走ることはできない。
四万十川は威厳のある川で、人が入ってはいけない河のように思える。
しかし、全国から来る観光客のために川岸をコンクリートでかため、道を広くしようという工事が何か所もあった。
俺もその観光客の一人だ。
けど、そんな四万十川は見たくない。
またこの工事のため土が川に流れ、魚が少なくなり、水が汚れ、川の流れが速くなったという。
「なめるなよ」
キャンプ場へ
17時過ぎに大正町に着く。
スーパーで買い物をし、一休み。
あと40km行くつもりだ。そこのキャンプ場にはヘルスセンターがある。
風呂に入りたい。ゆっくり入りたい。
出発する。
約一時間。西土佐村の「四万十ひろばキャンプ場」に着く。
風が強いので、バンガローの間にテントを張り、風呂へ行く。
のぼせるほど浸かった。
大正町で買ったうどんを食べ、***にTELする。
話は山ほどある。声をいっぱい聞きたい。
「愛してる」と言いたい。なぜかはわからない。
「考えるために一人旅をする」といったが、今日は初めて考えさせられた感じがする。
体力的にはひどい日だった。
気持ち的には最高の日だった。
だから***といっぱい話をしたかった。少し変かな。
明日は晴れるだろうか?
暖かいだろうか?
もしつらかったら宿にしよう。
あっそうだ!ヘルスセンターがあるんだった。そこにしようか。
明日は四万十川を海まで行き、足摺岬から宿も。150km少々。
楽かな?
ではそろそろねよう。
明日は朝から寒そうだ。着こんでおこう。
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あとがき
この日は本当につらかったのを覚えています。
長い距離だったし、寒かったし、道も厳しかった。
坂本龍馬の部分は、歴史的にあっているか、いま見るとちょっと。。。ですが、いまでも好きです。これほどのことを成し遂げた人なのに、人々に知られるようになったのはだいぶ後というのも、なんかいいですね。
闘犬センターは今はありません。動物愛護という面もあるし、債務超過になってしまった、ということもあるようです。ちょっと嫌な記事もありましたが真偽はわかりません。
もちろん、動物愛護を考えると閉館は当然とは思いますが、こういうものがあったというのは残すべき、とは個人的に思いますがね。
いいこともわるいことも、実在したものを完全に消してはいけない、と思います。
ただ、センターはないですが1994年に高知県の天然記念物に指定はされています。
そして四万十川。
海も好きだけど、川も好き。
たぶん、釣りキチ三平の影響だと思う。
この漫画に描かれている、古き良き日本の原風景にある川を見てみたかった。
そのときに、四万十川が思い浮かんだ。
三平の舞台は四国ではないが、清流といえば四万十川と思っていた。
四国旅行を決めたのも、その影響が大きい。
四万十川の源流から河口まで下りたい、と計画をしました。
実際には雪と凍結路に阻まれ、源流の案内板までしか行けなかった。
実際の源流点はそこからさらに登ったところにあるけど、さすがに無理。
寒いし、なにより怖かった思い出があります。
そして中流域のキャンプ場まで下っていくのですが、山を切り崩す工事をやっていて、発破作業のためかなり長い時間止められました。
私はよくわからなかったので、バイクのエンジンをかけたまま待っていたのですが、車の人は外に出てタバコを吸ったり、歩き回ったりしていて、「あれ?」と思い工事の人に聞いたら「あと30分くらいかかる」と言われてびっくりしましたね。
この時も寒くて寒くて。疲れのピークでした。
今と違って、宿をすぐに探せないので、キャンプしましたが、いまだったら絶対宿を探して泊まりますね。くたくたでした。
けっきょく、なんだかんだいって四万十川はきれいでした。