けっきょくなにもしない

おじさんのひび

おめでとう 中内功 8/2

むかしのきょう

今から102年前の1922年、中内功の誕生日。

スーパーマーケットの雄、ダイエーの創業者ですね。

 

あなたは太平洋戦争中、兵隊として前線にいき、玉砕一歩手前でゲリラ戦の命令をうけました。

飢餓状態で、弾もない状態で戦い、その中で「物量の違い」ということを思い知ったそうですね。

戦後、家業の薬局や、薬製造、そしてある人との出会いからいまでいうドラッグストアのようなお店、「主婦の店ダイエー薬局」をオープンさせました。1957年でした。

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あなたが設立した「流通科学大学」内にあるダイエー資料館ではそのお店が再現されているとか。見てみたいと思っております!

価格破壊を行ったあなたは時代の寵児となり、ダイエーは急拡大。

「いくらで売ろうがダイエーの勝手だ」という、今では当たり前な考えですが、メーカーに屈せず、手に入らなければプライベートブランドで製造したとか。

 

あの松下幸之助松下電器とも裁判までなる対立。松下幸之助との直接会話でも引かなかったそうですね。

他にも様々な業態の企業を買収し、小売店日本一となりました。

あのリクルートや、ローソン、プランタン銀座なども傘下にしました。

 

阪神淡路大震災では、たった2時間で復興に向けたダイエーの方針を決め、24時間照明を点け、物流も確保しました。

 

しかし、バブル崩壊後業績は低迷、競合他社や専門店、ロードサイド店、ショッピングモールに勝てず、ついにダイエーからは離れました。

 

むかしの銀行からの借入金の個人補償をしていたため、グループの負債3兆円を個人で背負い、資産のすべてを処分。そして、お亡くなりになりました。

会社も厳しい状況であったため社葬も行われませんでしたが、戦友、ライバルともいうべき小売店の経営者が中心となり、お別れの会が開催されたことは胸アツな話ですね。

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もちろん、強引な経営で悪いうわさもありました。

でも、逆に従業員を大切にしている逸話も多くあります。

 

あなたの意思というか考え方の根底は、戦中の思い出が強かったと思います。

 

お金というよりも「モノが豊かにある」「一杯ご飯を食べることができる」を目指していたのでしょう。

 

けっきょく、腹がへるとなにもいいことはない。