むかしのきょう
今から62年前の1962年、髙田延彦の誕生日。
プロレスファンにはおなじみの、「最強」を肩書にしたプロレスラーにして格闘家。
実は、申し訳ないのですが、あなたのことはあまり好きではなかった(笑)。
あなたは若手時代、甘いマスクと、スタイルのいい、いままでにあまりないプロレスラーの体形でした。
その後、UWFインターを立ち上げ、あの伝説の10.9東京ドームにいたります。
すでに会社としてのUWFインターは厳しい状況とのことで、この大会も大観衆、大注目ではありましたが、あなたにとってはどうだったのでしょうか。
この後も対抗戦は続きますが、意外と早く終わったように思います。
そしてPRIDE。
ヒクソン・グレイシーとの対戦。初戦は圧倒的、第2戦も基本的には押されてしまい、同じ結末に。
プロレスファンとしては、かなりダメージを負いました。
あなたは、どこからかプロレスの敵として、プロレスの恥としていわれるようになりました。正直私もそれに流されてしまっていました。
でも、いま思い返すと、確かにヒクソンが圧倒的な強さではありましたが、やはりみな画面から、会場から熱のある応援をしていましたし、UWFインター時代も年間最優秀試合賞も獲得したり、ハッスルではエンタメ路線を驀進しました。
そう、ずっとあなたはファンを興奮させ続けましたね。
なので、あなたはプロレスラーであり、プロレスの敵、ましてや恥ではなかった。
この熱量。今のプロレスでは正直ないですね。
あともう少し、プロレスのリングであなたをみたかったです。
けっきょく、プロレスには戦いは必要。
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