けっきょくなにもしない

おじさんのひび

おめでとう 北尾光司 8/12

むかしのきょう

今から61年前の1963年、北尾光司の誕生日。

相撲界、そして格闘技界にこれほどのインパクトを残した方は相違ないですね。

 

あなたは持ち前の身体能力で、角界入り後もスピード出世し、新入幕から12場所で横綱に昇進しました。

しかし、幕内優勝がないままの横綱昇進、横綱になってからも、そのころ敵なしの千代の富士となんどか優勝を争うも勝てず、またケガの欠場も多かったですね。

それにより、かなり毎場所批判の的でした。

もちろんこのころの千代の富士は強く、また若貴などの若手の台頭もありましたが。

貴乃花さんも同じ誕生日。おめでとうございます。

 

そして、もともと関係の悪かった親方と衝突し、突然の廃業。

近代相撲の中でもかなりショッキングな事件でしたね。

ここで「問題児」というレッテルが完全に世間に周知されてしまったと思います。

いまよりも「伝統」や「歴史」を重視する時代性もあり、完全に悪者となってしまいました。

 

その後、新日本プロレス入り。伝説のデビュー戦。

本当は「サンダーストーム北尾」というリングネームが良かったそうで。それからもいわゆるアメリカンプロレスを目指したかったのかと思いますが、残念ながら試合はスイングせず、ブーイングにまみれてしまいました。

 

その後、長州力と衝突し退団、天龍源一郎のSWSでも「八百長野郎!事件」で解雇されました。

どちらもですが、ブーイングや、試合内容を、相手選手やファンのせいにしたり、自己評価が周りの評価と大きくずれてしまっていたことが原因でした。

UWFインターナショナルに参戦したときは、反省の色が出ながらも、高田延彦のハイキックでKOされてしまい、その後も活動は続けるも1998年に引退されました。

 

そして公の場にはでなくなり、正直あなたのことの話題はなかったころ、2019年にお亡くなりになりました。55歳という若さでした。

 

お亡くなりになった後、報道や奥さんがテレビで話されているのを聞いて、正直身につまされる感じになりました。

ながい闘病生活になり、ほぼ寝たきり。奥様も24時間の介護を続け、闘病のため娘さんも進学ができなかったそう。

あなたも、現役時代の印象もあり、娘さんに迷惑が掛からないよう、参観日などにもいかなかったそうですね。

 

プロレスファンとして、あなたのことをよく批判をしていました。

ときには人間性についても批判をしました。会ったこともないのに。

もちろん、周りの方の話などから、あなたの逸話を聞いてということではありますが、一番近い、そして長くいらした奥様の「主人は曲がったことが大嫌いなとてもピュアな人でした。」という言葉には、申し訳ない気持ちにもなりました。

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根はそういう方だったのでしょう。

しかし、いま試合の映像を見ても、日本人離れした体格、パワーはすごかった。

千代の富士も、廃業をせず続けていたら優勝記録や連勝記録も難しかったと言っています。

 

申し訳ありません、の言葉とともに、あなたの残した試合も改めて見させていただきます。

 

けっきょく、批判は簡単、知ることは難しいが必要。