Kindleで読んだ最近の本。
プロレス本ですが、知らない話も多く、面白かったです。
1964年のジャイアント馬場
柳澤健さんは「****年の****」シリーズで人気。
プロレス物が多いので、よく読んでいます。
ここに挙げたのは全部読んだな。
わたしと馬場さん
わたしは、タイガーマスク前後からプロレスを見始めているので、1981年ごろ。
そのころはすでにジャイアント馬場は43歳。
このころのジャイアント馬場といえば、「アポー」のものまね。
関根さんは秀逸でした。
つまり、プロレスラーとしてはもう第一線ではなかった。
また、馬場率いる全日本プロレスは、新日本プロレスにかなり差をつけられていました。わたしもあまり見ていなかったと思います。
なぜ、ジャイアント馬場はすごい選手だ、といわれていたのか、正直わかりませんでした。
腕も細いし、胸の薄い。動きも遅い。強そうには見えない。
その後、1990年代に昔のプロレスなども知ることになり、ジャイアント馬場の経歴を知ると、すごかったのか、とは思いましたが、もうそのころは50歳代。
前座試合で楽しいプロレスを見せていました。
皆に愛される馬場さん。
馬場さんに攻撃する悪役商会には、「馬場さんに何するんだ!」というホンワカするヤジもよくとんでいました。
そう、「馬場」ではなく、「馬場さん」でした。
馬場のすごさ
馬場は、わたしがみていたころは確かに全盛期はすぎたレスラーでした。
全盛期はまさにタイトル通り1964年前後。日本プロレスの時代。力道山の時代。
修行にいったアメリカ。そこで、かれはいまでいう大谷翔平レベルの有名日本人でした。
スポーツ万能だった馬場は、アメリカでプロレスラーとしての技量を高め、また高身長であること、日本人としてヒールを演じきったところから、アメリカで人気を博しました。
日本では、まだプロレスは「競技」色が強く、「勝負」が大事であったときに、馬場はアメリカで「エンターテインメント」の極意を会得したのでした。
日本では考えられない高額のギャラを稼ぎ、客を呼べるレスラーとして、有力プロモーターからの引く手あまただったとのこと。
1964年
1964年の試合でYoutubeで見れるのはこれだけかな。
まず体つきがすごいですね。わたしがみていたころの馬場とちがい、筋肉がしっかりしているし、のしのしと歩く姿もかっこいい。ここぞの時の動きも早い。
なによりこのころの力道山の試合に比べ、面白い。
相手のハンス・シュミットもドイツ系ヒール(本当はフランス系カナダ人)だったので、どちらも悪役ですが、試合の流れや表情など、今のプロレスと同じですね。
1964年には、セントルイス中心のNWAルー・テーズと、ニューヨークのWWWFブルーノ・サンマルチノと、ロスアンゼルスのWWAフレッド・ブラッシーと、連続してタイトルマッチも行いました。
1年間で3大世界タイトルに挑戦するというのは前代未聞。それだけ、引っ張りだこだったし、なにより「客を呼べた」ことを意味します。
これは猪木もできなかった。そう猪木はアメリカでは「客を呼べなかった」。
この本では、そのころの関係者のコメントなども多く引用していて、いかに馬場がエンターテイナーとして成功していたかがよくわかります。
その後のプロレス
日本にもどって、全日本プロレスを立ち上げてから、この成功体験のまま、勧善懲悪、日本人対外国人、エンターテインメントとしてのプロレスを続けた馬場に対し、猪木の新日本プロレスは勝ち続けました。
本では「アントニオ猪木は、自分のプロレスに思想を付与した」と書いています。
これが日本独自のプロレスの出発点かもしれません。
日本のプロレスは、マッチメイク、試合内容、試合前後、選手のパーソナリティにかなり「意味」を求めます。楽しさの前に「意味」がないと、「納得感」がないと、「のれない」。これは民族的なものかもしれません。
お笑いの世界もそうですね。今の日本の漫才をそのままアメリカにもっていってもウケないでしょう。もしくはウケるというより、興味深くみられるかもしれません。
映画もそうだと思います。面白いもありますが、異文化のものとして興味深くみられるでしょう。逆にアメリカのエンターテインメント全開の映画に対して、わたしは「意味合い」は特に求めません。深く考えずただ楽しもう、という感じ。
しかし、いま世界を席巻しているのは、ジャイアント馬場が1964年にアメリカで体験し、会得したプロレスでしょう。
どっちが正解だったのか。
いや、正解はないかな。ただ、成功という意味では、やはりプロレスは「客を呼べてなんぼ」ですね。
妄想
もし、馬場が日本に帰らずアメリカに残ったら。
1970年代までは間違いなくメインイベンターとして、全米を回っていたでしょう。
ただ、彼の身体的なものは変わらないでしょうから、それ以降はプロレスラーとしては厳しかったと思います。
彼自身も、早々に引退をして、夫婦でハワイで悠々自適な生活が夢だったそうです。
彼の高額なギャラを考えれば、まちがいなくできたでしょう。
馬場は、アメリカでのレスラー生活が楽しかった。それ以降、とくに全日本プロレスを設立して以降は楽しいことはなかった、と言っています。
エンターティナーとしての楽しさを実感し、自分を生かせるのはここだ!と思っていたのでしょう。
まわりの人、馬場といっしょにビジネスをしたい、という人の思惑に流されてしまった、それにより心休まることがなかった。
ちょっとかわいそうに思いました。
けっきょく、数千人数万人をセルフなしにライブで人を楽しませることってできる?