神田明神に行ってみた。
お茶の水でお仕事の後、時間があったので、うろうろしていた。
GoogleMapでみると、神田明神がすぐ近くなんですね。
初めて行きました。
明神とは
明神というのは、もともと仏教由来の言葉で、特別な神を呼ぶものだったらしいです。
中世から近世は、神様のことを大明神とか権現とかよばれることが多かったそうです。
明治元年に、神仏判然令が出され、仏教由来の名称は神教からは外すようになり、少なったのだとか。
いろいろ神様も大変ですね。
神田神社(神田明神)
神田神社は、御茶ノ水の北、秋葉原の西にあり、意外と違いところにあります。
正直、場所をよく知らなかったので、あぁこんなに近かったんだと思いました。
HPによると、「神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、豊洲魚市場、108町会の氏神様」とのこと。まさに東京の守護神ですね。
創建は730年!1295年前。2030年には1300年になるんですね。

入口の鳥居。青銅で巻いてあるのかな。
左には、いなりもち屋さん、喫茶店がありました。
間食禁止なのでがまん!
由緒

ドラマやアニメの舞台になった、という由緒を書くのはなかなか進んでいますね。
一宮の大己貴命(おおなむちのみこと)は大黒様なので、商売のご利益も大きいですね。
随神門

1975年創建。昭和天皇在位50周年の記念だそうです。
門自体の彫刻も素晴らしいのでぐるぐる回ってしまいました。
また、門の中の像も目を引きます。


この像は長崎平和祈念像を制作した北村西望の監修で、松下幸之助が奉納したものだそうです。
内側には繋馬というのでしょうか。


荒々しいですね。かっこいいです。
こちらも平将門の話がモチーフのようです。
本殿

門を抜けると、ドカンと御社殿ですね。
後ろ側に高い建物があまりないのがいいですね。
昭和9年に建てられた、当時には珍しい鉄筋コンクリート造総朱漆塗。
なかなか荘厳ですね。

御社殿から振り返るとこんな感じ。
こちらは東京の都会の真ん中にあるのがよくわかります。
隣のマンションもどういう風に見えるのだろうか。
EDOCCO 文化交流館

御社殿に向かって左側にある建物。
お札、お守り、参拝の受付だけでなく、EDOCCOという名前でお土産類も多数あります。
たくさんの種類の御朱印帳や、IT情報安全お守りもありましたし、カフェやお酒を飲めるエリアもありました。おしゃれですね。
平将門

三宮の平将門は、平安時代の武将で、関東で反乱を起こし、当時の天皇と対峙。いわゆる朝敵となり、最終的には討伐をされてしまいました。
なので、当時は大罪人といわれていたでしょう。
その後、東日本での飢饉や災害、西(朝廷)から低く扱われていることなどから、平将門が関東を中心に神格化していき、鎌倉時代に神田神社に祀られるようになったようです。その後、徳川時代には、歌舞伎で演じられたり、怨霊伝説も生まれました。
明治期には、再び朝敵として神田神社の本殿からはいなくなり、随神門が創建されてから9年後の昭和59年に本殿に復帰となります。ながかった。。。
怨霊伝説では菅原道真、崇徳天皇にならぶ日本三大怨霊だそうで。
こんな話もありましたね。
帝都物語。本も読んだし、映画も見たなぁ。
なので、平将門はわたしは結構なじみ深い。
新しいものも取り入れ、粋な感じ。
まさに江戸っ子自慢の神田明神様でした。
けっきょく、この後秋葉原まで歩いて、たくさんのメイドさんをみました。
