むかしのきょう
今から80年前の1944年、ローラン・ボック(Roland Bock)の誕生日。
ドイツ出身のプロレスラーですね。
有名なのはアントニオ猪木との対戦。
いわゆるシュトゥットガルトの惨劇です。
1978年、アントニオ猪木と新日本プロレスは、モハメッド・アリとの異種格闘技戦などの興行で大きな借金を抱え、大変な時期でした。
その中でヨーロッパからのオファーにこたえ、ヨーロッパツアーを敢行します。
この時の興行を取り仕切り、かつ選手としても対戦したのがあなたでした。
ツアーは23日間で21試合という超過酷なもの。
いまじゃあ考えられませんね。
その中であなたとアントニオ猪木は連戦します。ボックの1敗1分けの後の3戦目。
いわゆる「シュトゥットガルトの惨劇」と言われる試合があります。
ヨーロッパでは主流だった4分10ラウンド制というものにわたしは初めて触れた気がします。
また、この時はわかりませんでしたが、マットは板の上におがくずを巻いてあるだけで、全くクッションがない。
その中で危険な投げ技を何度も繰り返します。
正直、アントニオ猪木をつぶそうと考えていたのでしょうか?
アントニオ猪木の攻撃を受けず、ひたすらハードな攻撃を繰り返しました。
試合後、猪木に感謝をしていたといいますが、あのハードな試合をみると、最後にすべてをぶつけあう2人に寒気すら感じますね。
実際、アントニオ猪木はこのツアーでかなりのダメージを負ったといわれています。
しかしあなたも、このツアーは興行としては失敗で会社は倒産。借金を背負い、起死回生とアンドレ・ザ・ジャイアントとの試合で、おなじように厳しい攻めをしますが、巨体につぶされ、それが原因で、血栓症になります。
1982年1月1日、アントニオ猪木と後楽園で再戦をしますが、反則負け。実際には血栓症のリハビリでトレーニングはできておらず、大量もよくなかったとか。
ただ、あなたの体は大きく、往年の投げ技も見られました。
あなたはこの試合で引退をされました。
その後、以前のツアー失敗の時の税金未納のため、禁固刑になったり、ライブハウスを建て大人気だったり、また血栓症で苦しんだりと、いろいろと大変なようですね。
体には気をつけて。
けっきょく、興行として成功しなければプロレスはできない。