むかしのきょう
今から127年前の1897年、ある女性の勇気が多くの人を苦しみから救う一歩となった日。
全く今まで知らなかったことを知ると普通は喜びの感情を持ちますが、このことは今までわたしが知らなかったことに対するもどかしさや、これを後世に伝えることをもっとすべきでは?という疑問と怒りにも近い感情となりました。
地方病
はじめて聞きました。なんとなく、その土地で発生した病気を一般的にこのように言うのかと思ったら、ある限定した病気のことでもありました。
たまたま、Wikiを読んでいて見つけたのですが、あまりにすごい内容で驚いてしまいました。
事の始まり
実際には戦国時代の記述にあったり、古くからその病気があったことは地元では知られていました。
1881年、東山梨郡春日居村(今の笛吹市)から嘆願書が出されました。
奇病の原因を調査してほしい、という内容でした。
この村では腹に水がたまり死に至る病気が流行していました。原因は皆目わからず、村人は恐怖のなか暮らしていました。
水や環境を調査したがわからず、便から虫の卵が見つかったが、何の虫かわからず、もちろんそれが原因かもわからなかった状況でした。
若い人の多くが生育が悪く、痩せ細り、顔面は蒼白だったとのこと。
杉山なかの献体
どうしても原因がわからず、暗中模索。
その中で原因を調べるためには、その病気の人の解剖が必須となりました。
しかし、明治時代のしかも田舎。手術はもちろん、体を切り刻む解剖など、みな拒否をしてしまい、なかなか進見ませんでした。
その中、自らの体を提供したのが杉山なかさん。
彼女は40歳から体調不良となり、50歳のことには腹は膨れ、なんども水を取るも改善することはなかった。
研究をしていた医師が肝臓が疑わしいと思っていたが解剖ができないで困っている、ということを知り、自らの体を提供することを決めました。
家族の同意をとるのも大変だったでしょう。
亡くなったのは1897年6月5日、その翌日の6月6日、甲府市の盛岩寺で遺言通り解剖をされました。
山梨県でも初めての解剖ということで、50人以上の医師が参加。
そして、肝臓に白い斑点や結節を発見しました。
そして結節は虫の卵の塊で、今までにない大きさの寄生虫の卵でした。
しかし、その虫自体がその時は見つからず、原因を見つけるまではなのかを知るまでにはまだ時間がかかるのでした。
盛岩寺に行ってみました
国道20号線のすぐわきにある寺。ここで杉山なかさんは解剖が行われました。
寺の境内には慰霊碑があります。
明治45年に建てられたので、文字は正直読めない状態ではありましたが、杉山さんの勇気をたたえ、手を合わせました。
お墓も墓地の中にあります。
しかし、まだこの病気の戦いは長く続きます。
今回はここまでにします。
けっきょく、一人の勇気は決して小さくない。