むかしのきょう
今から61年前の1963年、宮戸優光の誕生日。
80~90年代に一世を風靡したUWF戦士の一人。
第1次UWFでデビューしたあなたはその後UWFインターナショナルへ。
当初の格闘技路線から、どちらかというと全盛期のアントニオ猪木を高田延彦に沿わせたような方向ではありましたが、その中で1億円トーナメント、ベイダーや北尾のブッキングなど、その当時ではかなりチャレンジな企画を出していきました。
ただ、当時の時代に合わないものも多かったと思います。
とくに新日本プロレスとUWFインターとの対抗戦では、その前に会社から疎遠になっているあなたは対抗戦はUWFインターのためにならないとして、阻止しようと動いたが、同意は得られずあなたは完全にUWFインターから離れることになりました。
この対抗戦は興行としては大成功ではありました。歴史的な大会だったと思います。
ただ、UWFインターは勢いに乗ることはできず、翌年には解散となりました。
あなたの予想は会ってはいたのですが、やはり周りの選手や業界の同意を得ることはできませんでした。
その後周富徳さんに弟子入りして料理人を目指したりもありますが、いまはレスリングジムを経営し、後進の指導に当たられているとか。
ゲリラ的な戦術は業界を混乱させたが、これはまさにアントニオ猪木の得意のパターンですね。
ただ、これを高田ではなく、あなたがやっていたことがおそらく問題だったのかもしれませんね。
けっきょく、根回しをするか、しないのであれば引っ張る力が必要でしょう。